時代劇ドラマで人気の水戸黄門を見ていると色々な疑問が出てきます。水戸黄門は隠居の身分なのに悪代官達は揃って平伏するのは、あの家紋(紋所)の力なのか?諸国漫遊している水戸黄門の身分がなぜ偉いのでしょうか?
徳川歴代の中でも群を抜いて人気の水戸黄門は何者なのか?歴史を復習してみましょう。
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副将軍って何?水戸黄門がなぜ偉いのか身分や位を復習!
水戸黄門で悪代官達と戦った後に助さんと格さんが必ず言うセリフ。
こちらにおわすは、先の副将軍、水戸光圀公であらせられるぞ。
頭が高い! 控えおろう!!」
ここで多くの人が疑問に思いつつもそうなのかなと聞き流しているであろう「副将軍」という役職、実在しない役職なのに何故名乗るのか?
徳川御三家である尾張徳川、紀州徳川、水戸徳川の中でも水戸藩は参勤交代をせず江戸から動かなかったそうです。その為、将軍に伝える前にまずは水戸藩に伝えていた事から将軍の補佐をしていたと言われています。
ですが、この当時の参勤交代は徳川一族であっても必ず行わなくてはいけなくて、映画でもありましたが参勤交代では家来全員が移動するので相当の旅費が必要になります。
この出費によって大名たちの反乱を抑えていたのですが、何故に水戸徳川家は参勤交代をせず江戸に留まれたのか?
これは、実は水戸徳川家から将軍を出さないという約束と引き換えに参勤交代を免除されたそうです。
その為、水戸徳川家は常に将軍と共に江戸に居た事から「副将軍」と呼ばれるようになったんですね。
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では水戸黄門とは何者なのでどれぐらい偉いのでしょうか?
水戸黄門は俗名であるので、正式には水戸藩2代藩主 徳川光圀で武家官位は権中納言(隠居後に任命)。
この時代では名前をそのままいう事は禁じられていたので、藩や官位で呼んでいました。
権中納言の唐名は黄門なので、水戸藩主の権中納言→水戸黄門となり庶民からは黄門様と親しまれていたそうです。
位の中納言は将軍を除いて上から6番目の官位で御三家の尾張徳川と紀州徳川は大納言で1つ上の位。
だけど、水戸藩は江戸にずっと居たので副将軍(あだ名)と呼ばれていました。
そして、何故あんなにも権力があったのか?
それは、隠居が幕府から認められしばらくは水戸藩に居ましたが、徳川綱吉の時代になると綱吉から江戸に戻るように言われ長老として幕政に多大なる影響を与えていたからなのです。
まとめ
光圀公が「水戸黄門様」と親しまれたのはどうも隠居後の話ですね。
そして将軍の家紋を持って旅をしていたのは時代劇用のシナリオで、実際に光圀公は関東地方から出ていないそうです。
時代劇の中で、なかなかに大人しくしていない光圀ですがそれもそのはず…16〜17歳ぐらいまでは今でいう「不良」だったそうです(笑)。
時代劇用の脚色を差し引いても、実際の光圀公もなかなかに魅力的な人物です。
是非皆さんも調べてみてはいかがでしょう♪
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%85%89%E5%9C%80
http://www.nobunaga-lab.com/hall/furoku/kanisoutouhyou.html
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